数寄屋造と日本のDIY文化

数年前、神戸にある竹中大工道具館に行った後に書いた記事です。

DIYアドバイザーとしてほんの駆け出しだった頃の自分の物凄い気負いっぷりには赤面モノですが、まぁ今もほとんど同じ心境です。

 

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休日、妻と2人で久しぶりに神戸三宮の竹中大工道具博物館に出かけました。

 

前に来た時は気の向くまま自分のペースで見たいものを見る感じだったので、今回は案内役のボランティアさんと一緒にじっくりひとつひとつ見て回りました。

相変わらず、本当に見事な展示の数々。

『用の美』という言葉に違わない、魂の宿った畏れ多い道具たち。
見ているだけで、心に鉋をかけられているようです。

 

 

が。

 

 

そんな数多くの展示ブースの中で、ある種の異彩を強く放ち、一際私を惹きつけるのは、この数寄屋スケルトンモデルです。

『デザイン』というものについて、幾らか興味を持って掘り下げようとすると、いつも同じ人物に遭遇します。

 

その人物の名は、千利休。

 

上の数寄屋造という様式も、利休の頃に完成したという。

 

部材として選ばれるのは貧弱な芯持ち丸材や板材、どこにでも生えている竹、そして草、土、石。

他の立派な神社仏閣が誇る樹齢何百年何千年などという立派は銘木など、どこにもない。

 

間に合わせの掘建て小屋と一切違わぬそんな貧相な部材のみを用いて、しかし絶妙な美意識と卓越した建築技術による丹精込めた作り込みで、こんなにも高貴な佇まいを生み出している。

 

聴けば、例えば安い杉材に少々手を加えて高価な桜や檜に見せる、今風に言うところの『フェイク』もまた、利休とその数寄屋造の得意とするところだったという。

 

 

『DIYは西洋文化。日本には根付かない』
という意見にも一理あると、私も思う事があります。

 

それは、例えば卓越した技術による職人芸への畏敬の念を強く持ち、それを体得する職人を心から尊敬するという、日本人ならではの美徳と裏表にあるものです。

自分には到底真似出来ないと思うから職人さん達を尊敬するし、尊敬するからこそ、迂闊においそれと自分でやろうとはせず、対価を支払って職人さんにお任せしようと思う訳です。

 

そんなメンタリティを強く持つ日本人に、なんでも自分でやってしまおう!というDIYは、文化として根付くのか。

 

それでも私は、自信をもってYESと答えます。

 

だって、大先輩に千利休がいるじゃないか、と。

 

数寄屋は、いわば遊び場。
そこに暮らす為の部屋ではない。
あんな狭い入り口、玄関にはできないでしょ。

 

遊び場だから、自由にできる。
思いっきり手間暇かけて、石ころにぴったり合う柱の断面とか、歪な竹の穴にすっぽり収まる木を削り出す事も出来る。

 

遊びだからこそ、思いっきり真剣に、そんな面倒な事を、心ゆくまで楽しむことが出来る。

 

そんな遊びの楽しさを、何百年も前から、日本人は知っていたのだから。

 

真剣に、遊ぶ。
それがDIYの本当の価値だと私は思います。

 

激安SPFマイスターとして、あるいはコンパネクラフターとして、利休の数寄屋造のような美しくも楽しいDIYを、私は探求していこう。

 

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