翼をください

『今 私の願い事が
叶うならば 翼が欲しい』

 

70年代の大ヒット曲。

 

「仰げば尊し」より有名なのではと思ってたけど、今の若い子は、もう知らないのね。

 

フォークグループ『赤い鳥』によるこの楽曲は、歌曲として音楽的にアナライズしても物凄く秀逸で、その言葉と音の有機的な結びつきの妙は、あの時代が産んだ最高傑作のひとつと言っていいと思いますが、今回は歌詞だけに注目した記事を書きます。

 

『この背中に 鳥の様に
白い翼 付けて下さい』

 

 

ロマンチックですね。
描く情景がファンタスティックです。
天使の様に優雅に大空を舞う姿を想起します。

 

この曲を、いかにも若者らしい、イノセントで、でもひ弱で、夢想に漂う、恥ずかしい程甘っちょろい歌だと思ってる人も、多いと思います。

 

「なにしょーもない事にうつつぬかしとんねん!

翼なんか生えるかいな気持ち悪い!もっとしゃんとしぃや!

どうせ歌うなら、もっと地に足付けた歌うたわんかい!」

 

、、ってね。

 

『この大空に 翼を広げ 飛んで行きたいよ』

 

ところでこの人、なんでそこまでして翼が欲しいの?

そりゃ、大空に翼を広げて飛べたら、さぞや気持ちよかろうけど。

 

『悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい』

 

ただ飛びたいと思ってるんじゃないのね。

行きたい場所があって、でもそこは、今自分が立ってる所と地続きじゃなくて、だから、飛んで行きたいのね。

 

「せやから甘っちょろいゆーとるやろ!

悲しみのない場所なんか、何処にもあるはずないやんか!

そんなん、ただの現実逃避や!しゃんとせいゆーとるやろが!おぃそこのボン!」

 

まぁまぁ、おっちゃんもいっぺん落ち着いて。
おっちゃん、誰?
まぁいいけど。

 

悲しみのない場所なんかない。

 

うん、おっちゃんの言う通りかもしれない。

 

でもそう断じる前に、その青年にとって「悲しみ」ってなに?
何が悲しいの?というところから、いっぺん確認しません?

 

自由な空には悲しみがない、と言っているのだから、彼にとっては、自由のない場所、自由が奪われる事が、どうやら悲しいみたいだよ。

 

「それが!

だからそ、れ、が!!
甘っちょろいゆーとるんや!

そりゃ誰だって、なーんでも自分の思い通りになりゃ、世の中楽しくてしゃーないわ!
何不自由なく暮らせりゃ、お気楽極楽とんぼがわしゃわしゃ湧いてくるわ。
そんなもんに憧れてどないすんねん!
それが欲しけりゃ、そらもう死ぬ気で働いて働いて、ぎょうさん金稼がんかい!稼いだ金でうまいもん食ってべっぴんなおねいちゃんはべらせや!
翼が欲しいなんてしょーもない夢見とる間に、その生えた翼でアラブに飛んでって油田掘り当てオイルキングになる夢でもみときや、このアホンダラ!」

 

そうか、おっちゃんの自由って、そういうのなのね。

 

でも、ボンのいう自由って、ちょっと違うみたいよ。

 

『今 富とか 名誉ならば
要らないけど 翼が欲しい』

 

おっちゃん、カントって人、知ってる?

いや、私も知ったかぶりしか出来ないけど、丁度彼がこの曲を作った頃に随分流行った哲学者。

 

難解なカントの哲学を敢えて一言でいうと、こう。

 

《理性の力で、本能の牢獄から脱出せよ》

 

さっきおっちゃんが言ってた何不自由ない世界、うまいもん食べて、べっぴんさんはべらせて、ってのは、多分おっちゃんだけじゃなくて、みんな望む事。

 

そりゃもう、本能的にね。

 

だってそうじゃなきゃ生き残れない。

本能に根ざしたその衝動があったから、ヒトは猿から進化し、社会は発展し、親父お袋から自分は生まれたのだし。

 

美味しい物を食べたい。セックスしたい。眠りたい。運動したい。健康でいたい。

 

人が生き物である限り、これらの本能的欲求から逃れるのは容易い事じゃない。

 

「なんで逃れにゃならんねん!
そんなもん、あって当たり前やないか!オトコなら、それらを満たすべく全身全霊傾けて頑張りゃええやんか!
そりゃわてかて、頑張れば全部手に入れられるとは思ってへん。わてはボンとちごうて、そんな夢想家ちゃうわ。

頑張って頑張って、それでもダメならそこでスパッと諦めて、身の丈に合った生活すりゃええんや。

そりゃわてかて毎晩ステーキ食って、吉永小百合みたいな嫁はん相手にしっぽりと晩酌したいわ。よだれでるわ。

でもなボン。よう聴いとけ。

それが自分で頑張って稼いだ金で手に入れたモンなら、ステーキやなくてg49円の輸入鶏ムネ肉でも、それを焼いてくれるのが小百合っちゅうよりヨネコみたいな嫁はんでも、そりゃもううまいもんやで!」

 

そのムネ肉が、盗んだものでも?

 

「アホか!だれが盗みなんかするか!みくびんな!!」

 

じゃあ、誰かがどこかから盗んで来たムネ肉を、自分の店で売ってるとしたら?

 

「誰が買うかそんなもん!」

 

なんで?おっちゃんはちゃんとその店に金払うのだから、いいんじゃない?

 

「舐めんな!誰が盗品に手を出すか!」

 

自分も捕まるかも知れないから?

 

「ちゃうわ!盗まれた奴の身になってみぃ!ほんなもん、無念そうなそいつの顔がちらついて、食うてもうまないわ!」

 

ヨネコさんが美味しく焼いてくれても?

 

「だれがヨネコや!ヨネコが小百合でもうまないわ!旨そうでも食えんわ!くわんわ!!」

 

、、そういう、おっちゃんのような生き方を、この歌のボンもしていきたい、と、つまりそういう歌なんじゃないかな、これ。

 

例えそれが盗品でも、知らずに買ってしまった人にまで、普通はなかなか罪に問えない。
そりゃまぁあからさまに怪しい露店のヴィトンとかは別やけどね。

知らずに買って、後でそれが盗品だと分かっても、少なくとも今の私たちの国のルールでは、それを元の持ち主に返せ!とまでは言われない。できたら返して欲しい、と、要望されるだけ。
無視したって構わないんだ。

 

「ほんなもん、返したったらええんや!」

 

なんで?

 

「可哀想やないかい、盗まれたそいつが!」

 

ルールじゃないのに?

 

「ルール以前の問題や!男が廃るわほんなもん!」

 

世の中、おっちゃんみたいな男気溢れる粋な人ばかりならいいけど、、、

 

「ほな、そういうルールに変えたらええねん!盗品は盗品、盗まれた人には、それを奪還する権利がある、ちゅうことにしたらええねん!」

 

ムネ肉、もう食べてしまってたら?

 

「金払っちゃればええねん!」

 

それがほんとはg49円のムネ肉じゃなくて、食べたら逮捕の禁鳥だったら?

 

「逮捕されちゃればええね、、、ん?、、いや、あかん!逮捕はあかん!だいたい悪いのは食ったわてやない!盗んだ奴や!それと盗まれたそいつにも落ち度はあんねん!なんで禁鳥なんか盗まれるようなとこにおいとんねん!』

 

動物園にならいくらでもいるよ?

 

「ほしたら動物園にも置いたらいかんっちゅうルールにしたらええねん!」

 

寂しくなるよ?動物園。

 

「ほしたら、《食べたら逮捕》っちゅうルールをなくしたらええねん!」

 

無茶苦茶な主張になってますけど。

 

「知らんわ!おまえのせいやアホンダラ!!」

 

 

社会秩序に、ルールは必要。

 

でも、ひとつルールを決めたら、また別のルールが欲しくなる。原則、とか、付帯、とか、例外、とか、なんやらかんやら。

 

ルールだけで全てを丸く収めるのはものすごく難しいし、複雑なルールほど、軋轢もどんどん増えてしまう。

 

例えそのルールが無かったとしても、ひとりひとりが社会人として、各々の理性で自分の本能を制御し、それぞれ個別な状況に応じて、自身の行動を社会的な最適解として律するような世界。

 

ボンが夢見て、飛んで行きたいとまで願った『自由な空』って、私は多分そういう場所の事なんじゃないかなぁ、と思うんです。

 

 

確かに夢想的だよ、おっちゃん。

 

でも、私も、翼が欲しいよ。

 

 

 

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